PAPERS

二つの勘違い

株式会社さいと不動産投資顧問 代表取締役 足立 良夫

 不動産市場について、日本人は二つの勘違いをしている。
 ひとつは「不良債権の処理=不動産証券化=不動産の流動化」という勘違いである。話がややこしくなるのでそれぞれを簡潔に定義しておこう。 「不動産の流動化」とは、狭い意味で不動産の所有権が移転することである。少し広く考えると所有権の移転に限定せず、借地権などの利用権を新たに設定したり、既存の利用権を移転することである。物的には動かない財産である不動産について発生する種々の権利を変動し易くしようということであり、権利が動けばお金が動くので、日本経済の活性化に役立てようという発想である。
 「不動産証券化」とは、不動産に対する投資資金を金融機関からの間接金融に依存することなく、市場の一般投資家から直接資金を調達する手段である。不動産の流動化のための資金を導入するテクニックのひとつに過ぎない。この証券の原資はつまるところ不動産の価値ではあるが、年々得られる収益の配分がその基本となるものである。
 不動産にまつわる「不良債権の処理」とは、不動産を担保に貸し付けた債権が回収不能かそれに近い状態にあるときその債権自体や回収できた資金の支払を受ける権利だけ移転する(専門的にはローン・パーティシペーションという)ことである。不動産の価値を原資にしているので、不動産の権利が移転するかのように思われるが、本質は債権の証券化である。
 この三つ関係を要約すると、不良債権の処理は不動産証券化のひとつの形態ということができる。そして不動産証券化は不動産流動化のためのテクニックのひとつなのである。
 だから「不良債権の処理=不動産証券化=不動産の流動化」ではないのだ。不動産を流動化するためには障壁となっている不良債権を処理する必要があるに過ぎない。確かに日本では、過剰で無謀な担保額が回収できない状態の不動産が都市部に多い。経済不況のためもあって本業の収益からでも金利さえ払えず、担保の目的となっている不動産を売却しようにもできず、仮に売却できても地価急落で担保額の一〇分の一にも満たない。にっちもさっちもいかない状態なので債権者も債務者もじっとしているしかない「塩漬け(関西では「しこった」ともいう)状態だ。塩漬けから開放しなければ不動産の流動化も無理である。現状打破のために不良債権を処理するABS(資産担保証券)などを活用せざるを得ないこともわかる。しかし、大手都銀が行っているのは担保債権を第三者に買ってもらい、一定期間内に債権が回収できないときは買い戻しをする(都銀自体が実際に買い戻すのではないが)という資産移転(オフ・バランス)の名を借りたその場しのぎに過ぎない。その場しのぎの不良債権処理の手法こそが不動産証券化のように言われている。不動産証券化の目的は不動産から得られる収益の配分なのである。
 この勘違いにも理由はある。近年まで日本では右肩上りの土地神話のせいでリスクは皆無、リターンは高いおいしい投資と考えられてきた。期間ごとに獲得できる賃料収益性など無視してもよいほどのリターンが売却時に得られる環境であったことが最大の理由である。このために不動産への投資はほっといても儲かるものであった。不動産投資市場の未整備も理由のひとつだ。投資商品の尺度のひとつの利回りでさえ比較指標にもなっていないし、信頼できる統計などあるはずがない。不動産取引の不透明さにも問題がある。ディスクロジャーの不足に尽きる。宅地建物取引主任者達が懸命に説明しても市民から見て不動産取引はいつまでたっても胡散臭い。不動産価格や賃料の情報や決定する仕組みが市民に行き届かないためであろう。さらに不動産業界自体にも誤解があるようだ。
 更地は最有効使用実現の可能性があるから最高の価格である考える理論に誤りがあることを指摘しなければならないだろう。更地自体には収益性は乏しい。青空駐車場の収入程度である。もちろん有効利用の可能性はあるが、実現までの期間と確実十分な賃料が継続的に得られるかどうかのリスクが伴う。評価するなら少なくとも高いリスクと長い期間を考慮するべきであろう。不動産に対する投資家からみれば当たり前の話ではないか。
 不動産証券が登場すればますます複雑化、専門家することも必定である。十分に説明できる能力の備わった専門家も数少ないのが現状である。 更に輪をかけて不動産税制が投資環境を阻害していた。法人が投資家を募って不動産事業を行ったとき、収益には法人税が課せられ、その残りを投資家に配分せざるを得ない。配分を受けた投資家には所得税等が課せられる。この二重課税制度が障壁となっている。事業法人が不動産を売却したときに課せられる譲渡課税も高すぎる。不労所得と認定されるのもおかしいが、せめて預金利息や株式配当並に扱うべきなのではないか。今般のSPC法の成立で税制は緩和がある。ようやく不動産投資市場の環境が徐々に整備されてきたと評価したい。
 二つ目の勘違いは「不動産の価値は地価で決まり、その地価はエリア(地域)で水準が決まる」である。
 まず「不動産の価値は地価で決まる」の誤りについてを指摘する。こんな命題がある。
 なぜ銀座のコーヒーは高いのか。
 地価が高いからそれだけ固定資産税も高いし、第一店を取得するのに多大なコストがかかっているからだと答える人が多い。誤りである。正解は、銀座には多くの人が集まる。コーヒーを飲む需要者が多い。街全体でリッチな雰囲気を醸し出している。だから一杯のコーヒーに高い価値を付けることになる。需要者がコーヒーの値段を付け、満足しているのだ。コーヒー豆と光熱費などの原材料コストは日本全国ほぼ同様とすれば、店の収益力は高い。だから高い賃料を負担できる。そして結果として地価が高い。これが正しい理論である。つまり不動産の価値は地価では決まらない。その不動産の持つ収益力で決まる。
 次に地価はエリアで決まるという誤りである。不動産の評論家や理論家達によって「地価の二極化」がここ数年叫ばれている。大きなオフィスビルが建ち並ぶ都心エリアでは地価は安定、若しくは上昇している。反面、周辺部の下落基調はますます進んでいると言うのだ。不動産投資に携わる実務家からみれば、実はこれは間違いである。都心の一等地でも土地は規模や形状はまちまちである。千坪の正方形の土地もあるし、二十坪の間口が狭く奥行が長い土地もある。土地は個別性が強い。同じ規模と形状の土地があったとしても、その上に建つビルもそれぞれ違う。建築後の年数は違うし、設備もデザインも相違する。テナントにも賃料の負担力がある優良な会社や賃料を滞納する不良な者もいる。テナントと交わした賃貸借契約の内容もまちまちだ。ビルのオーナー、テナントともに対等な関係の相互に契約の拘束力が強く長期間安定的な関係が維持できるものもあれば、どちらかに偏った契約内容で契約関係が不安定なものもある。収益は土地やビルの個性、テナントの質、契約内容などに左右される。エリアで決まるのではなく、不動産の価値は様々な要因の個別性に影響している。まさに不動産の持つ個別的特性に由来する収益性で決まると言うべきである。丸ノ内にある不動産の価値はすべて高いのではないし、近年になって価値が全部安定したり、上昇したりしているものでもない。
 二つの勘違いが何をもたらしているのか。日本の投資家が収益性を無視して成立してきた旧来の取引市場の呪縛から逃れられず、いつまでも勘違いし続け、価値が見えていない。しかし、海外投資家には呪縛がないし、勘違い自体が不思議でたまらない。彼らは日本の不動産を特別扱いしない。グローバル・スタンダード(実はアングロサクソン・スタンダードなのだが)が判断基準である。彼らはすでに日本の不動産価値をその収益性と他の投資商品との比較から導いたリスク率を用いて判定し、いわゆる収益還元法(注)を駆使して価格の先行きが見えている。「見える者」と「見えない者」が勝負できるわけがない。見えない者はいつまでも負け続け、国民が創出した富を流出し続けるだけである。すでに日本の不動産市場は、海外投資家の草刈り場となっている。
 昨年ある銀行が不良債権を証券化し海外の機関投資家に売却したケースにこんな例がある。担保額と比較して回収率が高く見積もれるものと皆無に近いもの、回収が比較的容易と思われるものから絶望的なもの、都心や田舎の物件など玉石混交のひとまとめにした「一山なんぼ」の売り方(バルクセール)である。その一山の中に悲しい例があった。見えていない銀行は、従来の理論や手法を半信半疑に使って、約四億円の評価をした。どうも自信がなかったのだろう。見えている海外投資家は約三億円と見積もりながらも、見えない連中の弱みとあせりにつけ込んで数千万円の価値しかないと迫ってきた。そしてその価格で折り合いがついた。この時点で勝負はあったようだ。債権の売却後まもなくその物件が約三億円で第三者に購入され、回収資金は全額「見える者」の懐に入った。見える者は投資額の数倍を瞬く間に獲得したのである。ある銀行の自信のなさか早期是正措置にあわせるためのあせりなのか。仕方がないことだといっていいのだろうか。自行だけの都合で国民の富を流出させている現状で、いくら評論家や理論家達が理屈をこねていても日本経済も不動産市場も良くなるわけがない。
 バブル経済がはじけて八年、いくつもの勘違いを抱えながらも、不動産業界の常識、慣行、価値判断方法など多くのものが崩れていった。別物と考えていた金融と不動産が実は表裏一体であることもようやくわかってきた。不動産税制の改正などで不動産投資市場環境も徐々に整備されてきた。新たな形式での不動産小口化商品、日本型REIT、不動産ファンドなどの不動産投資商品がまもなく登場してくる。不動産はそれ自体でもさまざまな権利が錯綜しおり複雑な上に、税法や都市計画法などの規制もかなり専門的である。それに加えて金融商品との比較、投資リスクの判定などより高度な知識が必要とされている。ややこし商品を一般投資家は買うことになるし、金融商品になれたファンド運用者の判断も大変だ。
 そこで不動産投資市場には多種多様な専門家の出現が要求されてくる。不動産投資顧問やサービサーといわれる債権回収の専門家達である。
 昨年一二月に我々の設立した「株式会社さいと不動産投資顧問」は実務専門家集団である。「さいと」とは英語で〈site〉現場、〈sight〉視野の意味を込め命名した。机上の理論では判断せず、生のデータを基礎に現地を実際に見て不動産の価値を判定する専門家の集まりだ。事業の目的とするのは、今後一、二年内に登場してくる不動産ファンドなど不動産投資商品へ投資、運用する者への適正で客観的で中立なアドバイス業務である。これらの商品が登場するまでにするべきこともある。日本になかった不動産投資市場を整備する必要がある。弊社では現在証券化されている不動産担保債権の適正な評価業務を進め、市場環境の整備に尽力しているところだ。
 そこで本稿を借りてもうひとつ発言しておきたい。現国会で成立するとみられる土地再評価を認める法案についてである。法案には賛成する。銀行等の金融機関ばかりでなく、一定規模の事業会社にも認められる。財務内容の健全化ばかりでなく、会計上の適正化が図れ、株主への情報開示に資することができる。
 しかし時価の評価方式の適用に問題がある。評価方式は地価公示方式(やや意味不明であるが)またはそれ以外の方式も認めれるる。評価の考え方の相違や実情も知らずに固定資産評価額を採用するべきという浅学な評論家もいるようではある。一般的には凍結された地価税申告方式が採用されようとしている。だが安易に地価税方式などを採用してもらいたくない。特に不動産を所有しテナント運用している生命保険、損害保険、不動産会社である。近い将来テナントビルを不動産証券化スキーム上で資金の回収を目論むならば、その時表面化する投資価値と再評価で適用した時価評価の齟齬が問題となる。この問題は証券化の障壁となる。つまりこの度の再評価では将来の投資価値の評価方式を十分に斟酌できる収益還元方式を採用するべきだ。会社経営の健全化を図る善哉一隅のチャンスを目先だけのものとしてほしくない。 我々「さいと不動産投資顧問」を中心とした研究会では再評価と投資価値を緊密に結びつける評価方式と多量評価を迅速に対応できるシステムを確立している。旧来の不自然な不動産取引慣行の呪縛を打破し、不動産投資市場の整備を担う実務家を活用するときがやってきている。私はそう確信している。

(主要内容は、週刊ダイヤモンド 98年3月7日号 114ページ掲載分と同じ)